2009.05.22

第1回~梅山豚導入前の塚原牧場

 『梅山豚』は、平成元年に直輸入されてから今までに沢山の“あしあと”をつけてきました。
今でこそ幻の豚肉として各位方面から注目を集める『梅山豚』ですが、苦難な時もありました。そこで、『梅山豚』のルーツをシリーズで「梅山豚のあしあと」として紹介します。その第一回です。
 昭和39年、塚原弘(現会長)は、その実弟が埼玉大学に在学していた事から学生生協食堂へ豚肉を納品する事を始めました。今で言う「産直」の始まりです。三元豚(LWD)を飼育し、自分で骨を除いて、自分でトラックを運転して大学生協へ納品しました。おいしい豚肉の噂は瞬く間に広がり、東大、早大、慶大、法大、明大・・昭和40年台の学生達の多くが塚原農場とその仲間の農場の豚肉を食べていました。(当時はカレーに鯨の肉を使っていたそうです。)
 学生生協からコープ東京や埼玉、茨城・・・の組合員の方々へ信頼の輪が広がり「産直」の流れは拡大していきました。
 しかし、当初の「美味しくて安全な豚肉が食べたい」という前提は、いつしか生協の拡大に伴い量に追われ規格まで曖昧になり・・・・
 「何かが違う」と考え始めていた会長が偶然出会ったのが、そう『梅山豚』だったのです。
 何ともユーモラスな梅山豚の顔とその豚肉とは違った美味しさに魅せられ、いつしか会長は『梅山豚』を手に入れるために何度も何度も中国へ足を運ぶようになるのです。
 それは中国が現在のように開発されていない昭和60年頃の事でした。

配送車に乗った少年時代の塚原社長
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