2025.06.04

あおぞら市

 社長の昇が幼少の頃、父弘は豚を飼育しながら食肉センターも経営していました。自ら豚を飼育し、自ら肉を切ってパックに詰め、東京や埼玉の生協へトラックで配達していました。今で言う産直の始まりです。その食肉センターでは毎月1回、日曜日に「肉のビックリ市」という工場直売を行っていました。近所に住む人から、それを聞きつけた遠方の人まで大勢のお客様が買いに来られ、小学生だった昇もお手伝いしながら、楽しい思い出となっていました。
 時代と共に食肉センターは無くなりましたが、いつの日か当時の賑わいをもう一度味わいたいと昇は願っていました。しかしお客様の多くは東京、地元では買う事の出来ない梅山豚は、地元にファンがいないという残念な状況だったからです。ただ地元の小中学生2000人の給食には、毎月梅山豚を提供していました。そのため、父兄からは梅山豚を食べたことが無いという意見をよく耳にしていました。地元の人達にも喜んで食べてもらいたい、そういう思いが募って行きました。
 しかし食肉センターも無く直営店もまだ無い中で、どうやってお肉を売ろうか、大きな壁にぶつかります。社内で色々検討を重ねた結果出た答えが、仮設テントでの「あおぞら市」でした。しかしその決断は、天気に左右されるということ、そして気温が高いと品質を維持するのが難しいという問題をはらんでいました。
 あおぞら市で販売する梅山豚はチルド品です。売れ残らないように2頭、およそ100kgの梅山豚肉を販売する計画を立ててみました。1パックを500グラムにして、薄切りやブロック、挽肉まで約200パックを用意しました。
 境町全域にチラシを入れ、お天気も含め明日はどうなることかとドキドキしながら当日を迎えました。すると開店の1時間以上前からお客様が並び始めました。予想以上の来客に急遽お1人様4パックまでと制限させていただきましたが、結局は並んでも購入できない人が多く出てしまいました。
 お肉を購入したお客様は、娘や近所に配ると言っていました。中には赤ちゃんのお食い初めに梅山豚肉を使う人まで。こうして200パックはあっという間に売り切れ、買えなかった方のために追加で200パックを予約販売することとなりました。嬉しいことに美味しかったとか、次回はいつやるの、などの反響がありスタッフ一同笑顔のあおぞら市になりました。
 こうしたお客様との触れ合い、ライブ感は想像以上のものでした。生産者にとっては至福の時間となり、これからも今までと変わらず一人一人ファンを増やして行こう、その一つがあおぞら市なのだと確信した昇でした。

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