2025.10.01

再び入院と農場改革

 それは元号が令和に変わる直前のことでした。社長の昇は発熱からくる悪寒と背中の激痛で、朝ベッドから起き上がることができずにいました。出社してきたスタッフの手を借りて何とか病院に辿り着きましたが、嫌な予感は的中し再び連鎖球菌が昇を襲ったのです。2015年12月にも連鎖球菌に侵され35日間入院していたのに、免疫を獲得できなかったようで、3年経過して再び抗生物質を投与されて菌と闘う日々が始まりました。
 連鎖球菌は種類が多数あり、抗生物質の投与が間に合わないと命を落とすか、後遺障害になるような怖い種類もあります。昇の場合は劇症型で寝返りをするにも背中に激痛が走り、車椅子にも乗ることもできずベッドごとMRIに運ばれるほどの強い痛みがありました。2度目でしたので幸いにも菌の特定も1度目より早く、医師と看護師の適切な処置のお陰で再び命を取り留めることができました。
 入院している間に元号は平成から令和に変わり、昇が不在の農場は司令塔を失い少しずつ規律が緩んでいました。遅刻や早退、いつも行っている作業は時間がかかり、業績が悪化していました。退職するスタッフも現れ、人手不足も顕著になっていきました。このままでは事業を継続できなくなる、そう考えた昇は病院で密かに大胆な農場改革プランを練るのでした。
 これまで最大5名で行っていた農場の作業を2名でも行えるように、母豚の頭数を70頭から50頭に約30%縮小する事にしました。種豚舎に母豚を集約し、空いた分娩予備室に離乳舎を移設しました。それまでは屋外にプレハブ型の離乳舎を置いていましたが、夏は暑く冬は寒くて生育が良くなかったのです。そのプレハブ型の離乳舎を室内に移設することで夏と冬の厳しさを緩和し、作業動線も効率化することができると考えました。
 しかし、規模を縮小する一方で、生産性を改善するという農場改革は、これまで一緒に働いてきたスタッフには理解されず、そのほとんどが農場を去りました。スタッフが少なくなり寂しいなどとは言っていられません。35日間の入院を経て退院した昇を待っていたのは、1年365日休みなく働かなければならないという畜産の現実でした。
 入院中に考えに考えたアイディアは、これまで最も過酷だった離乳舎の環境が改善され生産性が大きく向上しました。さらにスタッフの作業性も改善し想像以上にうまく行きました。残ってくれたスタッフに新たに迎え入れたスタッフを加え、一丸となって新しい農場をゼロから作り直す、そう覚悟を決めた分岐点が2度目の入院だったのです。

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