台風19号で避難指示
病から復活した社長の昇は矢継ぎ早に農場改革を行いました。2019年8月には離乳舎の移設を完了し、築15年以上経過した肥育舎の修理も行って、少ない人数でしかも女性でも業務が可能な力仕事のない仕組みを作りました。事実社員1名が病欠となり昇と女性社員の2人で農場作業を行っていた時期もありました。そんな慌ただしさの中、事件は起きました。
2019年10月日本列島を襲った台風19号は最低気圧が915hPa、最大風速毎秒55メートルという猛烈な台風で、伊豆半島に上陸し関東の都心部を通過して福島県沖に抜け、各地に甚大な被害をもたらしました。特に河川の氾濫や土砂災害が相次いで、多摩川や千曲川、阿武隈川など氾濫した河川は71に上り、死者105名、重軽傷者375名という人的被害が発生しました。
私たちの地元茨城県境町は日本最大の流域面積を誇る利根川に接していて、昔から何度も氾濫を経験していました。塚原牧場のある地区は境町の中でも利根川に比較的近く、氾濫した場合4メートルの水位に達するとハザードマップに記されていました。
日頃は穏やかな利根川の流れですが、台風19号では境町より上流の栗橋水位観測所で、氾濫危険水位を超える9.61メートルに達し(氾濫危険水位は8.9メートル)、堤防が水圧に耐えられる高さである計画高までもあと30センチメートルとなり、10月13日午前1時47分遂に「避難指示」が発令されました。これは1人の犠牲者も出さないという災害が起きる前の予防的な避難指示で、さらに境町の大半が水没する予想から境町内ではなく近隣自治体への広域避難という全国初のものになりました。
避難指示が発令される中、社長の昇は1人農場に残る決断をしました。700頭以上の梅山豚は避難できる場所がないため、もしもの事態に備えたかったのです。幸い自宅には屋上があり垂直避難をすれば自分の命は助かると考えました。
1人残った夜の農場はシーンと静まり返っていました。これから起こるかもしれないことなど予想もしていないようでした。もし利根川が氾濫したら梅山豚は何頭生き残れるのだろう?農場が水浸しになっても私たちは事業を継続していけるのだろうか?不安ばかりが募る長い夜でした。
眠れぬ一夜を過ごした後、利根川の水位は下がり始め、午前11時30分避難指示は解除されました。利根川という大きな川に面して暮らす私たちは、水の恵みを受けながらも危険と隣り合わせの生活を送ります。ここで梅山豚を飼育するということはそういう事なのだと思い知らされたあの日の夜、一方で梅山豚は何かに護られているのかもという気持ちを抱いた不思議な日となりました。